旧態依然のイルカショー、シャチショー
批判されて批判されて、既存の水族館のショーにもいくらかの変化の試みが見られている。名古屋港水族館では、トレーナーがイルカにのるイルカサーフィンはもう行われていないそうだ。しかし神戸須磨シーワールドでは相変わらずも古臭いイルカサーフィンをみせていた。そもそも、いかなる動物も人間を乗せるようにはできておらず、イルカの背や口吻は人間の足や尻を乗せる場所ではないはずだ。
シャチショーでは、シャチが横向きになり水中から突き出した胸ビレで水面をたたく様子に、「バイバイ」していると観客は大喜びだった。これは「ペックスラップ (Pectoral Slap)」と呼ばれる、仲間に合図するシャチの行動から採用した動作だと思われる。そもそもシャチが「バイバイ」を理解しているとは思えない上に、シャチ本来の行動の理解から遠ざけるパフォーマンスになっている。野生のシャチの動作は、動画をご覧いただきたい。もちろん、神戸須磨シーワルドのショーに、野生の行動の説明などはない。
ショーの合間では、力なく水中にただようシャチたちの姿があった。ショーの40分ほど前から座席はかなり埋まっており、待ち時間に2頭の様子を見ていたが、ショー開始の少し前に泳ぎ始めるまでのほとんどの時間、ランはサブプールの出入口のほうへ頭を向ける位置で、ぷかぷかと浮いていた。犬吠埼マリンパークのハニーがそうであったように、することがない飼育下の鯨類に長時間起きる行動だ。
そして、アイスランドで捕獲された野生由来のステラの背びれは、長い水族館飼育の中で左に傾いてしまった。これだけでも、広大な海に群れで暮らすシャチの負担がうかがえる。
11月9日には、ステージに乗り上げて降りられなくなるランの姿がSNSで拡散された。母親も乗り上げてその体をもって押し戻そうとする光景を「母親の愛!」「涙が出ます」と人間視線の感動の声がある一方で、危険を指摘する声も多数あがっていた。
神戸須磨シーワールドは「ランの遊びの一環で戻る気がなかった」と説明しているが2、20分という長さが及ぼすステラやランの身体の負担に危機感はあったのだろうか。もちろん、飼育員がむやみに近づけないのは、これまで世界中で起きてきた多くの人身事故からわかる通りだが。
野生ならば母親の真似をして狩りや危険を学ぶ。しかし、水族館生まれのランがランディングを学んだのは、ショーのような行為からだとしたら、本来の生態からかけ離れすぎてしまっている。(野生のシャチは海辺にいるアザラシを捕らえるためにわざと陸上に乗り上げることはあるが、狩りの一環としての動作だ。また、アイスランドで捕獲されたステラがそのような行動をする群れにいたかどうかはわからない。アイスランドのシャチは主にニシンを捕食、アザラシやサケも食べる。)
素通りされる「エデュテインメント」
楽しみながら学べる「エデュテインメント」(教育+娯楽)として、オルカラボやオルカホールが1階に設置されていた。ここでは過去に飼育されていたシャチの骨格標本や、知床の野生のシャチの動画や資料を見ることができる。シャチの生態や分布図などが動画で展示されており、もしショーのない施設でこのような学びの場があれば、一日中いたいくらいだと思った。
日本初のシャチショーの様子も動画で一瞬流れたが、恐ろしい狭さに驚愕した。日本のシャチ残酷史についても学べる場所となっていた。
しかし教育として最も重要なこの展示コーナーは、全体の展示コースからはずれた場所にあり、訪れる人は少なかった。シャチショーやイルカショーは満席なのに。地球の温暖化やオニヒトデによるサンゴ礁の危機の展示もあったが、残念ながら客の視線からは外れた壁にあり、足を止める人の姿はなかった。
神戸須磨シーワールドが教育を目的としていないことは、各水槽の横に設置されたパネルでも明らかだった。パネルには生き物の名前のみで、生息地や生態、分布など何も情報が記されていない。客は知っている魚や大きな魚に反応するだけだった。
教育目的の展示に積極性がないのだ。大迫力とされる水槽の魚を詰め込みは、かつての神戸市立須磨海浜水族園を彷彿とさせた。人には大きく見える水槽も大海に生きる生き物には密度が高く、見ていて息苦しい。