実験動物を慰霊することが素晴らしい? 実態も伴わないが…

いつもヘビーな長文が多いブログなので反省して、きょうは軽めに。

この写真は、昨年10月に撮った、ある大学医学部の実験動物慰霊碑の写真です。(全体は最下部に掲載)

ここは以前、県の犬抑留所が医学部の構内にあり、放浪犬・飼育放棄犬等が医学実験用に直行するという、恐らく日本で最も「合理的」なシステムがとられていた場所です。

さすがに当時の面影はもうないだろうか……と見て歩いていて見つけました。

といっても、奥まってよく見えない場所にあったんですけどね。

近づくと、何だか枯れた植物が刺さったまま。

これ、多分……7月に行われた実験動物慰霊祭のときに花を供えて、そのまま誰も4カ月近く掃除していなかったのでしょう。

ここは毎年毎年、律儀に実験動物慰霊祭を執り行ったことをウェブサイトで告知している大学の一つですが、実態はこんなものです。

慰霊祭というのは、1年にたった1日、対外的に何か動物にいいことをしているかのように見せることができればそれでいい、そのための行事だということがよくわかります。

本当に慰霊が大事だと本心から思っていたら(そういう人が科学者になれるかどうかは別にして)、いつも誰かが慰霊碑に手を合わせていて、こんなに草ぼうぼうになったりはしないでしょう。

まあちょっと……呆れるような、悲しいような気持ちになりますね。

でも別に「慰霊碑を掃除して手を合わせろ」と言いたいわけではないんです。

未だに日本では、生きている動物たちをどう扱うのかからは目をそらし、一生懸命、慰霊祭をやっている、慰霊祭をやっていると言う人がいます。

というより目をそらさせるために言っているのが厄介ではありますが、中には大まじめに動物福祉の項目の中に慰霊祭と記載する大学も。

しかし、それ、動物たちにとって何か大事なんですか? 
自分たちが救われたいからやってるんじゃないんですか? 
動物たちが生きているときに何かしてあげたんですか? 

何もしてやらなかったから死んだ後に慰霊しているんじゃないんですか?

……というのが動物実験が動物に与える苦痛に心を痛める多くの市民の率直な思いだと思います。

慰霊をいいことだと信じて疑わない人たちにはどうしても理解できないのかもしれないですが、動物の慰霊は二度と被害を繰り返さないと誓うためのものではなく、犠牲を繰り返すための免罪符になっているのが現実だと思います。

また、もし自分の国の政府が慰霊行事・宗教行事ばかり熱心にやって、生きている人間の福祉には一切取り組まなかったらどう思いますか?

それと同じことが動物には起きています。

そろそろ「実験動物を慰霊しているからわれわれがやっていることは免罪される」と大真面目に主張する精神論(いや、宗教か?)からは卒業して、きちんと生きた動物と向き合ってほしいものです。

だいたい、慰霊、慰霊と言う人ほど、現実を変えようとしないのですから。

動物愛護法改正が再び近づく今、改めて思います。

▼卒塔婆が立てられているが、国立大学が特定の宗教を採用することにも問題があるはず

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