佐世保で女子高校生が同級生を殺害した事件のことが気になっています。加害者は、中学のころから猫の解剖などを繰り返していたと報道されており、そのことが高じて医学書も手に入れ、「人を殺してみたかった」「(殺すのは)誰でもよかった」「遺体を解体してみたかった」と供述していると報じられています。
しかし、「人体がどうなっているか知りたい」と考えること自体は、今の理科教育の中では歓迎されている志向です。動物の解剖も、今でも「必要だ」と平然と言う方々がいます。学校教育が命の大切さを訴える一方で、好奇心のための生命の破壊を是としていることは矛盾であり、生徒にとってはダブルバインドではないかと考えてきました。
今回の件は、「解剖と口では言っているが単なるサディズムの発露」と考えることもできますが、逆に言えば、解剖にはサディズムを満足させる要素があり、言い訳に使えるということです。加害者がどこまで純粋に科学的関心を持っていたか、またそれを歓迎する雰囲気が、例えば理科教師などになかったかということも気になります。
過去の活動における経験からの個人的な印象ではありますが、解剖を行う教師や塾講師などは、特に女子が解剖に関心を持つことに執着があり、自らの指導により女子が関心を持った場合に「成功」と見る傾向が強いように感じるからです。
セミナー「動物虐待と人への暴力の関連性」
先日、ペット研究会「互」と動物との共生を考える連絡会が主催された1日セミナー「動物虐待と人への暴力の関連性」に参加してきたのですが、この中では、動物虐待が人への暴力へ向かう機序については、まだ理解が進んでいないというお話がありました。
動物を「卒業」して人間に移行するのか、動物虐待が他の暴力性の引き金になっているのか。家庭環境や虐待を受けた経験が関係して進行するのか。海外でもまだ研究がこれからの部分のようです。講師は、「ナショナル・リンク・コアリッション」コーディネーターのフィル・アーコー氏でした。
日本ではそもそも動物虐待と人への暴力性に関する研究が進んでいませんが、その必要性・重要性は高まっていると感じます。また、暴力を受けている人の保護と動物の保護をリンクさせるような実地的な取り組みも一歩ずつ進める必要があると思います。
印象に残ったポイント:
- 動物虐待は人の福祉に直結する問題であり、家庭内の他の暴力とつながっている。
- 動物虐待は、子どもにとっては負の経験として一生影響を与える。
- 動物虐待の問題に手を差し伸べることは、早期に暴力を断ち切るきっかけとなる。
- 動物虐待は、性暴力の指標となる。他の指標より強く相関しており、レイプ殺人犯では、全てのケースで動物虐待の経歴がある。(オーストラリアの警察当局のデータ, 2002年)
(東)
かなりみっちり、充実した内容でした
補足(2024.10.1)
最後のオーストラリアの警察( ニューサウスウェールズ州警察)の資料についてご質問をいただいたので、補足します。出典は以下になりますが、原文をネットで読むことはできないようです。
Clarke, J. P.(2002). New South Wales police animal cruelty research project. Sydney, Australia: New South Wales Police Service.
この資料から引用しているNational Link Coalitionの資料には、以下の記述がありました。
- オーストラリアの調査では、有罪判決を受けた動物虐待犯の 61.5% が暴力犯罪も起こしており、17% が性的虐待を犯し、8%が放火で有罪判決を受けていた。動物虐待は、殺人、放火、銃器犯罪で過去に有罪判決を受けていること以上に、性的暴行をより強く予測する因子だった。動物虐待犯は、平均して 4 つの異なる種類の犯罪を犯していた。性的殺人を犯した者では、全員が動物に対して残酷な行為をしたと報告した。動物虐待犯の犯罪歴には、性的暴行、家庭内暴力、銃器犯罪が目立つ。
(”Facts About The Link Between Violence to People and Violence to Animals”より)
- 法執行機関が動物虐待事件に関する知見を持つことは、殺人、性的暴行、放火、ストーカー行為、児童虐待事件の犯人のプロファイリングに役立つ。
(”ANIMAL CRUELTY AS AN INDICATOR AND PREDICTOR CRIME”より)



