ゾウをめぐる2つの物語について寄稿をいただきました。映画『かわいそうな象を知っていますか』と『ダンボ』についてです。
ドキュメント映画『かわいそうな象を知っていますか』は、こちらからネット公開版にリンクしていますので、ぜひご覧ください。
また先日、このPEACEブログで『ダンボ』を紹介したときは、いわゆる「ネタバレ」となる核心部分には触れなかったのですが、寄稿ではその点についてズバリ書いてくだっています。映画をこれから見る予定の方で、先に結末を知りたくない方は、映画をご覧になってからお読みになってください。
『ダンボ』監督のティム・バートンは、「動物芸は拷問だ、死にいたる曲芸をさせられている。まるでホラーショーだ。」と言っているそうですが、寄稿くださった光延さんによると、日本版のパンフレットにはそんなこと1ミリもふれていないそうです。心温まる親子のストーリーと革新的な技術の話だけ。日本でありがちな広報戦略ですが、それではこのストーリーが本当に訴えたいところがかすんでしまい、もったいない。ここにしっかりと記しておきたいと思います。
ふたつのゾウの物語
〜『かわいそうな象を知っていますか』佐藤榮記監督、
『ダンボ』ティム・バートン監督
<本文には映画の内容を含みます。ご了承ください>
私たちはゾウという動物を知っている。体が大きくて鼻が長くて、動物園ではおなじみの動物だ。しかしゾウがどんな動物かは案外知らない。例えばアフリカゾウとアジアゾウの違いは? アジアゾウの方が体が小さい。それから両者は鼻の形が微妙に違ってて、前足と後ろ足の爪の数が違っているなど。そして最も肝心なことは忘れ去り、葬り去ってはいないか。ゾウたちは広大な森や草原や水辺を広範囲で移動し、群れで暮らす生き物だということを。
第二次大戦中の上野動物園。空襲で逃げだしては危険だからと、3頭のゾウたちが餓死させられる。ごはんをもらうために芸をしながら、飢えの苦しみの中で息絶えるゾウたち。その痛まし過ぎる姿が、優しい色使いの、しかしあまりに切ないイラストで語られていく。
その3頭のゾウが亡くなった6年後、初めてのゾウが日本に迎えられる。「はな子」。そう呼ばれたゾウは戦後の明るい話題として歓迎された。しかし彼女は井の頭自然文化園にいる間、60年以上も他のゾウを見ることもなく狭い飼育場で自由を奪われ、孤独なまま息をひきとった。
そして現在。山梨県甲府市遊亀公園附属動物園、昭和53年(1978年)生まれの「テル」。栃木県宇都宮市の宇都宮動物園、昭和49年(1974年)からひとりぼっちの「宮子」。彼女たちもまた、たった一頭で狭すぎるコンクリートの飼育場で孤独と退屈の毎日を耐えている。「テル」の一見ダンスにみえる動作はストレスによって精神に異常をきたし、同じ動作を繰り返す常同行動だ。
ゾウの大きな耳や長い鼻、鳴き声は複雑なコミュニケーションや感情表現に使われる。群れで暮らすゾウにとって仲間との絆がとても重要なのだ。ゾウの群れは主にメスと子どもで形成される。そして彼らは1日のうち20時間を餌を探すのに費やし、100キロ以上の植物を食べ続ける。皮膚を清潔に保ち、乾燥から守るために水浴びや泥浴びが大好きだ。
佐藤監督は語る。「野生動物の飼育は人間ができる許容範囲をはるかに越えているのです」
コンクリートの飼育場やサーカスのテントがいかに不適切であるか。家族や子どもや仲間と群れで行動するメスのゾウがたった一頭でいることがいかに過酷か。ゾウという動物を知れば知るほどにその言葉は重さを増す。憩いと娯楽の犠牲、人間は野生であるべきゾウの生態も本能も無視し続けてきた。
このドキュメンタリーで傑出しているのは、動物の現状を改善するよう監督自身が動物園に対して訴えている場面だ。動物の立場になり、動物の代弁者として丁寧な口調で改善点を伝えている。動物園の飼育環境が間違っていると感じたら、違和感があれば、どのように意見すればいいのかを監督は身をもって教えてくれる。つい、クレーマーだと思われたくないなどと気にして尻込みしがちだが、言うべきことは言っていいのではないか。それが動物のためなのだから。
また、番外編では畜産動物と実験動物についても語られている。日常生活の裏側にある膨大な数の動物の惨状。見て見ぬふりをされてきた動物たちの苦しみ。
「私たちの身のまわりには『はな子さん』が今もたくさん苦悩の叫びをあげています。」
もう同じ過ちを繰り返したくはない。まずはより多くの人にこのドキュメンタリ映画を観てもらおう。知ることから始めよう。できることがあるはずだ。
1941年のディズニー制作のアニメーション映画、「ダンボ」が実写とCGでリメイクされた。笑い者だった子ゾウのダンボがサーカスの人気者になるハッピーエンド。それは現代でも通用するのか?
生まれながらに耳の大きなダンボは観客の嘲笑と屈辱的な仕打ちに晒される。母親のゾウ、ジャンボの怒りを煽る人間の悪意。ジャンボはダンボを守るために人を一人死なせてしまい、殺人象として不遇な扱いを受ける。
まるで井の頭自然文化園の「はな子」だ。「はな子」もまた、檻に入り込んだ酔っ払いに驚いて死なせてしまい、「殺人象」のレッテルを貼られたことがあるのだ。
ジャンボは安く売り飛ばされ、幼いダンボと離れ離れになってしまう。悲しみにくれるダンボを励ます子どもたちは、鳥の羽根につられたダンボが大きな耳を羽ばたかせて飛べることを発見する。サーカスのステージに立たされるダンボ。母親を買い戻すために飛べという子どもたち。興行と金のために飛べという大人たち。子どもの純粋さであろうと、大人の打算であろうと、ダンボにとっては両者の要求に大差はないように見える。動物芸とは強制だ。そこには動物の意志も本能も喜びもない。ダンボは終始眉間にシワをよせたような困惑した表情をしている。
飛べるゾウ、ダンボで大儲けを企むやり手興行師との大騒動の中で、ダンボの世話をしていた親子やサーカスの団員たちは互いの絆を強めていく。一方のダンボは無事に母親と再会できるのか?
そしてついに、サーカス団の団長はこう叫ぶ。”No Wild Animals in Captivity!” 我々サーカス団は野生の動物を監禁しない!
この言葉にたどりついた時、私たちはもはやゾウの曲芸を受け入れることはできないはずだ。生きた動物が撮影に使われている場面もあるため、アニマルライツとして百点満点とは言えないかもしれない。しかしディズニーが、数々の傑作を世界に送り出してきたティム・バートン監督が、ゾウにとって最高の結末を用意してくれたのだ。ダンボが辿り着く本当の幸せとは……。それは「ダンボ」をご覧になってからのお楽しみ。
さあ、サーカスの動物芸に終止符を! 世界各国で相次いでサーカスの野生動物による芸が禁止される中で、日本では依然として木下大サーカスが動物芸を続けており、ラオスから木下大サーカスへアジアゾウが輸入されようとしている。ゾウの輸入にストップを!
これ以上、「かわいそうなゾウ」を繰り返さないために。